アルコール依存症の父が突然死して、娘の私が思うこと

ヒミツ

こんにちは

【らぁめん屋の嫁】よめちゃんです

タイトルのように
アルコール依存症の父が突然死して
娘のわたしが思うこと、
いまも後悔していること
があります



もしあなたが父親・母親のことが嫌いだとしても、後悔はしてほしくないのでここに書いておきます


書きながら思い出して
泣いてしまっているので
感情的な部分もあるし、具体的な表現もあります

ご注意ください

父の死因:突然死の中で最も多い【急性心臓死】でした



父は本当に突然死にました
死因は【急性心臓死】


朝方、
父のお母さん、つまり私の祖母が見つけました


2階の部屋で旦那と寝ていたわたしは
祖母の『お父さん死んでる!息してない!』の声で起こされ、1階の父の部屋に寝ぼけながら駆け付けました


ドアを開けてすぐわかる空気感


冷たい風が流れているような、
シーンッとなんの音もない、
時が止まっているって、こういうことをいうんだなぁっと思いました



目の前に見るからに
固まっている父


目が半開き、口も開いて
博物館にあるような人形の体と目の色



触らなくても、もはや死んでいるとわかる


恐る恐る触り確認
やっぱり冷たくなっている父を前に
どうしていいかわからず、とりあえず救急車に電話


電話先で『いますぐ心臓マッサージをしてください!!!』といわれたけど、完全に冷たくなっていることへの諦めか、か弱く肉のないガリガリの父に対する怒りや情けなさ、いろんな思いがあり、父の冷たい胸に手を当てるだけで震えてなにもできませんでした

このときの、
父の感触・温度・顔・色などは
忘れたくても忘れられないです



横にいてくれた旦那は
そんなわたしをみて、
『無理してやらなくていい。もうこんなに冷たいし生き返らないよ』といってわたしの手を握ってくれました


救急車がついて
救急隊員の方が『亡くなってもう何時間もたってるので助けることはできない。こういう時は警察の役目になるから呼びます』と言われ『えっ?なんで警察?』と思いました


家で亡くなった場合、
不審死、事故死、自殺、殺人などを
調べないといけないためだそうです


警察と救急車が入れ替わり
警察の方がわたしと旦那、祖母に事情聴取
そして父を調べていました


広くもないリビングと
6畳ほどの父の部屋に
たくさんの警察官(刑事)がいました


事務的な警察官の手続きばかりだったのと
地方に住んでいる兄2人に連絡したりと
父が死んだことをこのときはまだ
実感できなかったです


一通り 部屋と父を調べたあと
知らないうちに父を車に運んでいて
死因を調べるため警察署に連れて行かれました


結局、父は
突然死、予期せぬ死、急死の中で
最も多い【急性心臓死】という判断で
病死でした


その日はめずらしく
大雪だったのを覚えています

父のアルコール依存症



父は正式に【アルコール依存症】
診断されたわけではありません



アルコール依存症と診断できるのは
精神科・心療内科・アルコール依存症を専門に扱っている病院だけ


父は頑なに
『自分は精神は大丈夫。
肝臓の数値は悪いがアルコール依存症ではない』と言い続けていたため、精神科などには一回も行きませんでした



ですがアルコール依存症の症状は、所々ありました

・一日も飲まずにはいられない
・夜仕事から帰ってきたらすぐ飲みはじめ、次の日仕事が休みだと朝からずっと飲む
・酔って記憶がなく、足元がおぼつかないのですぐ転んだりする
・体臭がお酒臭い
・大好きだった銭湯も無頓着になり、お酒が優先になる


食事をあまり摂らないでお酒を飲むため
体重は40キロ台で見た目も肉のないガリガリ

よめちゃん
よめちゃん

お酒を飲み始める前の父は
筋肉質でかっこいい作業服姿の記憶があります


そんなもんだから
意識を失い倒れて何回も救急車を呼んだことも


そのたびに入院するのは
内科

(なぜ内科かというと
まずは痩せてしまって
体力のない状態を戻さないことには
アルコール依存症の治療はできないためだそうです)



内科だと
身体(血液検査)が正常の数値に改善したら
即退院するので
退院。家に帰る→ご飯食べずお酒飲む→栄養失調で倒れる→内科入院のエンドレス


多分お医者さんから
アルコール依存症治療の打診は
あったと思います


でも本人が了承しないと
お医者さんも進められません


一度わたしから
病院の相談窓口みたいなところに行き
『家族から言っても無理だし、
悩みすぎて疲れたのでお医者さんから治療するよう言ってください』といいましたが何も変わらなかったです


お医者さんが父に
ちゃんと伝えたかどうかもわからないし、
父もわたしたち家族に何もいいませんでした


それでも何回も倒れるもんだから
家族が参っちゃって
『次こそ倒れたらほっとこう』って思うけどできない


結局こんな父を
中学生から父が死ぬまで見続けていました


もっと悩みを聞いてあげたりとか
断酒会に連れて行ったりとか
できたかもしれない


でも言うほど、簡単じゃないです


説得なんかシラフの時でも聞いてくれないし
無理やり連れていくこともできたけど
そんなことしてなんの解決になる?


お酒を飲む父だけど
大好きな父だからこそ


自分から進んで行動してほしい気持ちが強かったです

それでも父を嫌いになれない理由

《わたしが中学生時代》
・もともとお酒をたくさん飲む人
・酔うとDVなどはしないが、説教が長くなる人
・飲みに行くのも好きだが、基本家で一人飲む
・血管がつまる病気や、てんかんの発作の疑いがでてきて病気がちに
《わたしが高校時代》
・病気が悪化し会社を解雇され、さらにお酒を飲むようになる
・お金がない家庭
・毎日、言い争いがある(酔った時の父は言い返してこない)


それでもなぜ
見放さずにいたのか
疑問に思いますよね



読んでいるみなさんは
・なんでほっとかないの?
・甘やかしすぎ!

っていろいろ思うでしょうね


それでも嫌いになれないんです
『血の繋がった父だから』とかじゃないんです


ここまで母のことについて
一切書いていないんですが
気づきましたか?



母もいろいろ問題のある人で
わたしが小学6年のころに
両親は離婚しました


わたしたち3人兄弟は
母と一人ずつどちらについていくか話し合い
それぞれの意思で父についていくと決めました

その答えを自分の口から
母と父に伝えるということもしました


それからずっと
低い給料で3人の子供をみて
身体を壊すまで働いてくれて
母との離婚で負った傷も
私たち家族には気づかれないように振る舞い、忘れるため晩酌程度に好きだったお酒を浴びるかの如く飲むようになったのも、それしか父には逃げる道がなかったのかと思うと涙が出ます


母からわたしを守ってくれて
でも自分は誰からも守ってもらわず


離婚して父が決めたことは



再婚しないこと


それが父を
苦しめたようにも思えますが
こどもたちのことを考えた結果の
父なりの決断でした


離婚するまでは良い父親でしたよ?


お酒を飲まなければ
もっと良い父親だったと思います


どんな理由があろうとも
アルコール依存症になっちゃダメだ!とはわたしも思います


父はそこまで強くなかった
でも弱くもなかった
だから、
だからこそ


父を嫌いになれないんです

そんな父が愛おしくて

父が死ぬ前日にわたしは突き放してしまった


父が死ぬ前日


眠れなかったのかなぁと今になって思う

リビングのソファーで
1月の寒い時期なのに
ストーブもつけず毛布に包まり
電気もつけず真っ暗い部屋でひとり
テレビだけつけて


テレビを見ているけど
どこか考えているような


あいかわらずお酒を飲んでいたので
『仕事もしないでお酒ばっかり飲んで!
お父さんがこれからどうするか自分で考えないと独りになっちゃうよ?!老後なんて見ないからね!』と突き放してしまいました

怒りに任せていたので
本当はもっとひどいこと言っていたように思いますが、あまり覚えていません



反論もせず
ただ言われっぱなしでしたが
その時のなんともいえない悲しそうな父の顔のほうが覚えています


まさかその次の日に
死んじゃうなんて…


父の死因を調べ終わって
警察署から家に帰ってきた日



葬儀屋さんとわたし含む3兄弟が一緒に
父を和室に運ぶとき
改めて軽いなぁと思いました


それもそのはず


最後の体重は40キロを下回っていました


その時に
『あぁ。本当は父も、死にたかったのかもしれない』と理由もないですが、思いました



火葬した日の夜
父が夢にでてきました


なにか喋ってはいるんですが
きこえなくて



でも最後に
優しい声で『大丈夫だよ』と言い、
やっと楽になったかのような安心した顔で微笑んでいました


夢だけどひさしぶりに、
笑った顔が見れた気がします



その時にわたしは
最後に突き放した言葉をいったことや、
もっと父の力になれたかもしれないこと、
全部、全部、全部
後悔しているんだなと気づきました



そしてそんな自分に
父が『大丈夫だよ』といってくれたような気がしてなりません

後悔してる自分を認める


なにをどれだけ尽くしても、
その時自分ができる最大限のことをやり切っても


あれができたかも…
これをやっていたら変わったかも…
と後悔はします



わたしも立ち直ったわけじゃないです


ソファーに座っている父を
いまも夢に見ます



完璧な選択ができれば
よかったなと思いますが
その瞬間ベストを尽くした自分を
認めてあげることしかできません



後悔しながら生き続けるようなことはしません



父も別にそれを
望んでいるわけではないはずです



父の遺品整理をしたとき
わたしが小さい頃に書いた
『しゅっちょう、おつかれさま』の手紙や
お父さんの似顔絵が大事にしまってありました



そんなの大事にとってあるなんて
知らなかった…



あぁ、いろいろあったけど
言葉足らずな父だったけど
わたしは愛されていたんだと気づきました


みなさんも、わたしみたいに
気づくのが遅かったと
後悔しないでほしいです


唯一、父に言い足りなかったなという言葉があります

お父さん、だいすきだよ








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プロフィール
ラーメン屋の嫁ちゃん

【旦那×らーめん×下ネタ=よめちゃん】▶経験談、リアル飲食店の実情を発信▶ひとりの力で稼ぎたい!と心に決め、奮闘中●旦那大好き●本・映画・筋トレ・食べること・北海道大好き

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